首都圏青年ユニオン
ニュースレター
第12号 2002年2月28日(木)発行
発行:首都圏青年ユニオン執行委員会
03−5395−5359
E-mail seinen@mx10.freecom.ne.jp
http://isweb39.infoseek.co.jp/business/seinen-u/
(↓PRONTO渋谷文化村通り店)
PRONTO渋谷文化村通り店が2月25日で閉店するのにともなう雇用の問題で青年ユニオンとPRONTO本社の間で合意が成立しました。@希望者は赤坂の店舗などいくつかの店舗でこれからも雇用を継続する A年次有給休暇について、会社はPRONTOで働くすべてのアルバイトに対して消化を促進する B01年7月からの未払い残業代を組合員に対して全額支払う、C加入資格のあるアルバイト従業員を雇用保険に加入させる D組合員で雇用保険に加入資格のあるものついては2年遡及して加入させ、01年7月からの雇用保険の本人負担分も会社が負担する E雇用継続を希望しない組合員の有給休暇の未消化分は会社が買い上げる Fこの間組合員にたいしてシフト削減などを行ったことによって生じた減収の保障、解決金として全体で100万円を支払う、といった内容での解決でした。
これで渋谷文化村通り店の閉店にともなう雇用確保の問題は解決しました。組合員の中にはこの4月から大学を卒業し、新たな就職先が決まっているなどの条件があるためにPRONTOを去ることになる人もいますが、今後も組合員はPRONTOに残り会社との間で労使交渉を続けていくことになります。PRONTOには多くのアルバイト従業員がいます。これからもアルバイト従業員・正社員の労働条件向上のためにしっかり会社に言うべきことは言う交渉を続けていきます。
Tで有給休暇取得、指導レポート代の支払いを認めさせる
10ヶ月に及ぶ長期の交渉になったTでは、2月26日に団体交渉を行い、指導レポート代の支払いについて、ユニオンと会社の間で合意が成立しました。これまで、一人で会社に交渉を申し入れることから始まり、ずっと長くにわたってさまざまな交渉を行ってきたSさんの交渉に区切りがついての感想を紹介します。なかなか、ユニオンのメンバーを職場に増やすことにつながらず、大変ななかでの交渉でしたが、とにかくゆっくりとでも着実に成果を上げながらの交渉だったと思います。なかなか、職場の仲間を見方に引き入れるというのは大変なことですが、Sさんはそのことにでも「Tユニオンを応援する会」というのを作るなど、すばらしい実践をしながらの交渉だったと思っています。
名取
みなさん、こんにちは。組合員のSです。
26日に団交では以前から合意に達していた指導レポート代についての正式な合意を文書で確認しました。未払いとなっていた指導レポート代について近日支払われることになりました。
名取さん、阿久津さんをはじめ執行委員のみなさんと応援していただいた組合員のみなさんに心から感謝いたします。
団交の帰り道、言いようのない充実感がじわじわとこみ上げてきました。正直、支払われる額はそれほど多くはありませんがこの間の闘いを通じて得たものは多かったと思います。
去年の4月末に団体交渉を申し入れてから10ヶ月あまりたちました。講習会を突然干されたり、嫌がらせみたいなことをされたり闘いを続けることがつらいときもありました。当初応援してくれていたバイト仲間もほとんどやめてしまい孤独感もありました。
しかし、働いた分には給料を払うという極めて基本的なことが守られておらず、何よりも講師のサービス残業を前提に塾が運営されていることを絶対に許すことができませんでした。10ヶ月に及ぶ交渉でTに指導レポート代の未払いは違法であることを認めさせた意義は大きかったと思います。また、団交の中で就業規則の中身が明らかになり有給休暇の取得や講習会での割り増し賃金の支払いについてはっきりと約束させたことも貴重な成果だったと思います。
僕は3月7日でTをやめますが(残り3日は有休を消化します。多分アルバイトで有休を使うのは僕が最初でしょう)、今後はこの貴重な成果を講師の間に広めて、次につなげていければと思っていす。
(団交後の阿久津執行委員とSさん)
シネマ・レビュー
中の上だった「光の雨」
2002年は連合赤軍事件からちょうど30年というキリのいい年でもあり、当事者と同世代の人たちも定年(リストラ?)後の「第二の人生」を考える「いい歳」になったので、もうそろそろ「あの頃」の苦い経験を消費の具に供したところでバチには当るまい。それどころか、最近ではシルバー世代が映画人口に確固たる地位を占めていることからすれば、前シルバー世代の青春時代の暗黒面を描いた衝撃作として、同世代はいうにおよばず、名実ともに「夢も希望もない」今に生きる青年層にも思わぬ反響を引き起こして案外ヒットするんじゃないか。
以上のような目論見の下に映画化されたのが本作品である(と思われる)。監督は高橋伴明。原作は立松和平。この小説「光の雨」が、当事者として今も獄中にある坂口弘の著書「あさま山荘1972」の盗作だとして坂口本人から激しい抗議を受けてしばらくの間お蔵入りしていたいわく付きのシロモノであることについては、ご存知の方も多いはず。したがって本当にかの事件について知りたければ、ドキュメントとしても読み物としてもオリジナルな後者を堪能することをオススメします。
では映画そのものはどうだったかというと、私としては「中の上」といったところです。これは「思ったよりはよかったが、まあそんなもん」ということで、期待度は低いが社会学的関心から眉にツバ付けながら映画館に臨んだような作品に与えられる評価としてはまずまずの成績です。ちなみにこのテの映画で2001年「上の下」だったのは「スターリングラード」(「ラ・マン」のジャン=ジャック・アノー監督)で、「下の上」だったのが「ホタル」(降旗康男監督)でした。
「光の雨」のいい点は、「連合赤軍事件の映画化」ということ自体をテーマとすることによって、運動的にはもとより思想的にもとっくに「足を洗って」しまった「脛にキズもつ身」による自己慰撫的な懐古趣味を相対化することで、ある種の滑稽味(ズレの感覚)を演出することにそれなりに成功していることでしょう。だから例えば永田洋子相当役を演じる裕木奈江は、「永田洋子」を演じるだけでなく「永田洋子を演じる今時の若者」も演じることになるのです。原作がどうなってるかは知りませんが、現在の若者が当時の若者を演じるときの戸惑いと、当時の若者であり映画撮影中に失踪してしまう作中監督の「いかにも」的な苦脳というか屈託のようなものが織りなす人間模様は、「総括」シーンの凄惨さを緩和する以上の効果を発揮しています。連合赤軍事件自体を戯画化することなく、かといって当事者意識に即したベタ糞真面目に流れることもなく、とりあえず「見せる」という意味でのエンタテインメントとしての最低条件は満たしているとはいえそうです。
ではこの映画の悪い点はどこでしょう。ズバリそれは「内容そのもの」です(笑)。そーいや2001年のmy「中の上の右」はかの「ムルデカ」なのでした。しかしだからといって「光の雨」が「ムルデカ」ほど内容的極悪相を呈しているというワケではありません。念のため。
で、この映画が訴える中味ですが、要するに「『万人が持てる力を十全に発揮でき、富の分配も平等な理想社会』を追求していた真面目な若者がこんなことをやってしまった。だから『あの時代』にその理想を共有していた者はみなああなる可能性があったんだ。そういう時代だったんだなあ」といったテレビでお馴染みの立松節の詠嘆です。
しかしこんな耳触りのいい調子でしみじみ来られると、「いえいえ私も彼らと理想は同じかもしれませんが、二十年ぽっち早く生まれたところであんなことは絶対しなかったでしょうね」などとウッカリ口に出そうものなら、「過去の過ちに目を瞑ろうとする教条主義者」とのレッテルを貼られかねないんじゃないかという被害妄想を抱くのは私だけでしょうか(そんな気もする)。そして、そう思われないために乏しい脳ミソを振り絞り、「理想とは何か」「現実とは何か」「『共産主義は到達すべき一つの理想ではない』(マルクス)とはどういうことか」といったことを説得的に展開すべく口角泡を飛ばしている自己の悲哀に満ちた姿が目に浮かんでくるようです。
これでは堪らないので、せっかく「現在の視点」を取りこめるような構成にしたんなら、ちっとは総括してくれろ、というのがこの映画にたいする率直な感想なのでした。
内ゲバで落命した友人の死に関わる作中監督の失踪も、「オレはあいつの総括のために金を集めたんじゃねーんだ」と息巻く作中プロデューサーのような立場の表明も、それはそれで一つの総括の形態(キリの付け方)ではあるのでしょうが、いわゆる「全共闘世代」が未だにウジウジしたものを抱えてるんだということを作中人物にアピールさせたところで、その問題が現実のある闘いのあり方に根ざしたものであった以上、やはり現実的な闘いへの想像力に即して描かれないかぎりは、本質的な意味での懐古趣味との謗りは免れないでしょう。そういう意味では、失踪した監督を「あなた方は自分達では30年前のことを昨日のことのように語るくせに、ぼく達にはなにも語ってこなかった。それを語るためにこの映画を作るのではなかったので
すか」と批判して監督を引き継ぐ萩原聖人演じる人物が、ちょっとシナリオをいじったくらいのことしか出来ずに無事クランク・アップして喜んでいる姿にこそ、当時の「見てすぐわかるおぞましさ」の裏側に潜む現在的な真の「おぞましさ」を見てとるべきなのかもしれません。
追記:これを書いた後に、「光の雨」を特集している「映画芸術」という雑誌をめくっていたら、井土紀州という青年監督(30代前半)がこんなことを書いているのが目に付きました。「私は、全共闘の持っていた無根拠な過激さは大好きだが、正直言って、ロマン主義的な側面には距離を感じる」と。
私の場合は、「全共闘の持っていた無根拠な過激さは大嫌いなので、正直言って、ロマン主義的な側面も大嫌いである」ということになるでしょう。
「ロマン」のみを根拠とする過激さの温床は、「無根拠な過激さ」を称揚するような時代情況にこそあった、と思うからです。
したがって連合赤軍以後30年のこの期におよんで、未だに「無根拠な過激さ」になにごとかの意義を見出すかのような同世代のロマン主義ぶりにも、私は「現在的なおぞましさ」を看取せざるをえず、「ああでもこの人だって真面目ないい子なんだよ、きっと」と、映画のラストに流れる立松和平のナレーションを想起しつつ、心の中で呟いたのでした。
徳田ミゲル
突発的にはじめる組合員紹介のコーナー・・初めての寄稿は組合員のIさんです。新潟の郷土料理自慢(?)です。
新潟の郷土料理といえば
私の出身地は、新潟県の旧高田市(現在、上越市)です。雪がたくさん降る地域で有名ですが、近年は温暖化のせいかあまり降りません。今回、ここで紹介するのは「のっぺい」です。簡単に言えば、ぬめりのある煮物です。
法事やお祝い事の時にはかかさずに出てくる料理です。特別な材料を使わず、どこの家にでもある材料で作るため、各家庭によって入っているものは異なります。だいたい、里芋や鶏肉、にんじん、しいたけ等は共通しているようです。また、冷たくしてから食べるところもあれば、暖かいままで食べるところもあります。私は、どちらかといえば暖かい方が好きです。
味付けも異なります。私の実家では、醤油をメインしていますが、塩をだけでつくる家庭もあります。ぬめりは、里芋から出ているのですが、さらに片栗粉をいれてとろみを出す方法もあります。ちなみにのっぺいを漢字で書くと「能平」あるいは「濃餅」になるそうです。漢字の方がなんとなくその料理の雰囲気がでているような。でも、餅のはいったのっぺいはみたことがありませんけど。
参考までに新潟の郷土料理を紹介しているホームページをみつけました。ご興味のある方はご覧下さい。
http://www.nicol.ac.jp/~honma/present/kyoudo.html
組合員 SI
Iさんありがとうございました。みなさんに逐次原稿のお願いをいたしますので、その際はよろしくお引き受けくださいね。